野球のヘルメットは選手の命を守るためのプロテクターです。
近年では時速150kmを超える超速球を投げるピッチャーも増えてきました。
投球ミスにより頭部への死球が、まさに命とりになりつつあるのです。
そんな野球のヘルメットですが、大昔は現在のような強化素材や緩衝素材を使ったものではなく、布を頭に巻き付けただけのターバンだったのをご存じですか?
様々な歴史を経て、現在のヘルメットが誕生したのです。
ヘルメットが必要な理由と歴史を紐解き、重要性を理解しておきましょう。
野球のヘルメットの歴史
野球のヘルメットが現在の形になるまでには、長い歴史の積み重ねがありました。
野球の始まりから現在のヘルメットに至るまでを年表でまとめていきます。
~ヘルメットとして布を巻いたターバンが利用される~
- 中世(12世紀) フランスで野球の前身となる「ラ・シュール」という球技が誕生
- 18世紀 現在の野球の原型が完成する
~ヘルメットではなく麦わら帽子(カンカン帽)、乗馬用ヘルメット、キャスケット、ビルボックスキャップなどが利用される~
- 1842年 アメリカのニューヨークマンハッタンで消防団の有志で集まったスポーツ団を発足。のちのニッカボッカーズとして現代野球のようなルールを決める
- 1857年 9回終了時点数が多い方が勝ちのルールが決まる
- 1876年 アメリカ・ナショナルリーグが設立
- 1884年 上手投げが解禁
~ヘルメット=頭部を守るプロテクターとして認識される~
- 1920年 アメリカ大リーグでレイ・チャップマン選手が頭部死球で死亡、革製ヘルメットの開発が始まる
- 1970年 日本の田淵幸一選手が頭部(耳)に死球を受け出血。耳当て付きヘルメットが開発される
- 1984年 日本野球機構が耳当て付きヘルメットの着用を義務化する(選択可能)
顔や頭部を守るためにも、重要なプロテクターとして認識されていることが分かります。
現代のヘルメットに至るまで
現代のヘルメットが作られるようになったのは、1920年の頭部死球による死亡事故が原因です。
1920年8月16日の試合で、ニューヨーク・ヤンキースのカール・メイズ投手から受けた死球が、レイモンド・ジョンソン・チャップマン遊撃手の頭部左側のこめかみ部分に当たりました。
昏倒したチャップマン選手はすぐに病院へ搬送。
試合から12時間後の8月17日早朝に亡くなりました。
この事件はMLB史上唯一の、試合中に他の選手から受けた傷害が原因で死亡したものです。
レイ・チャップマン事件の後には、革製ヘルメットの開発と試験導入がされました。
また、汚れたボールを審判に手渡すことで、新しいボールと交換できるようになったのも、この事件がきっかけです。
なぜ革製ヘルメットなのかというと、当時のヘルメットといえば、アメリカ3大スポーツの1つ、アメリカンフットボールで使われていたのが革製のヘルメットだったからです。
その後、野球用に改良が加えられ、現在の形になりました。
フェイスガードについて
現代プロ野球で徐々に着用者が増えているのが、耳当てが伸びている「フェイスガード」付きのヘルメットです。
実はこのフェイスガード、日本が発祥でした。
フェイスガード付きのヘルメットが使用解禁になるまでの歴史を見てみます。
~フェイスガード付きヘルメットの誕生~
1979年 日本の近鉄バッファローズ在籍のチャーリー・マニュエル選手が顔部分に死球を受ける。
欠場明けにアメリカンフットボールのヘルメットを着用して出場
1999年 ダイエーホークス秋山幸二選手が西武ライオンズ松坂大輔投手の死球を受け頬骨骨折。
フェイスガード付きヘルメットを特注し復帰。以降大リーグでフェイスガード付きヘルメットが普及する。日本では練習中に限り利用できる。
2018年 日本野球機構がフェイスガード付きヘルメットの試合中の使用を解禁。現在に至る
フェイスガードの始まりが日本野球だったのは意外ですね。
ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)の秋山幸二選手といえば、引退後にホークスの監督として活躍しました。
主砲である柳田選手をはじめ、ほとんどの選手がフェイスガード付きヘルメットを使用していますね。
さいごに
野球のヘルメットは選手を怪我だけではなく、命を守る兜です。
戦国時代、刀や槍、矢から頭部を守るために鉄製の兜が使われていました。
使わなければ命はなかったのです。
野球ヘルメットも戦国時代の兜と同じように、命を守るプロテクターなのです。
なぜヘルメットの着用が必要なのか。
なぜ耳当てがあるのか。
理由と歴史を紐解きながら学ぶことが大切ですね。